一方通行の罠
こんにちは、方向音痴の片野です。
今日は日常に潜む落とし穴について語ってみたいと思います。
人形町駅のあたりは、区画が碁盤目状になっています。
狭い道が多いので、一方通行が多いです。
お散歩している人がたくさんいるので、対面通行より一方通行のほうが歩いている人にとってもいいと思います。
以前のブログでお話したとおり、人形町は3駅4路線にアクセスできるので、電車の便がすごくいいです。
だからいつも電車を使います。
自宅が遠いので、車で人形町に来るなどはまるで考えられません。ので、車の進行方向についてはまるで頓着していないわけです。
そうすると、どんなことが起こるか?
そうです、逆方向のタクシーを待ってしまったりするのです。
狭い道が多いからだいたい一通かどうかはわかりますが、人形町通りみたいな大きさの複数車線になると、わからなくなったりするじゃないですか。
そういうこと、ありますよね?🚕
ありますよ、私は(^^)
人形町駅近辺でタクシーを利用なさるときは、向きに気を付けていただくといいかもしれません。
閑話でした。
(書き手/片野真理子)
徒歩で人形町から日本橋まで行った話
先日、日本橋でとある会合があり、それに参加することになりました。
会合の場所は、日本橋駅からすぐのところ。
都内の地下鉄のひと駅くらい、まあ歩いても行ける距離です、が。
さて困ったことに、どうも私は道に迷うのが得意なのです(笑)
どーしようかなあ、と迷いました。
何しろ神田から徒歩3分程度のお店に行くつもりで、道に迷って小川町駅まで行ってしまった猛者なものですから(友人に迎えに来てもらいました)。
でも、そういえばこんなに近くにいるのに日本橋まで歩いて行ったことない、と気づきました(そりゃそうです、安全第一で近くても電車で行けるところは電車で行きますw)。
「よし!!!」
とばかり、会合の30分前に事務所を出て、歩いて行くことにしました(^^)
人形町から日本橋まで行くのに30分見るなんて、きっとこのブログメンバーには笑われますww
地図をプリントアウトして、スマホの地図検索も準備して、いざ出発!!
もはやこれは(ちっさい)冒険です!!
人形町交差点から、ほぼ一本道なんですが、それでも細かくきょろきょろと自分の場所を確認しながら進みます。
そして日本橋が見えてきました!!!
「おお・・・これが日本橋・・・!!」
いえ、知ってます(^^;
何度も来てます(^^;
でも何というか、「辿り着く」と、感慨深いんですよねー(方向音痴だから)。
いつも目的地にまっしぐらなのですが、今回は今更ちょこっと日本橋観光をしました。
(「日本橋地域」ではなく、「日本橋」という「橋」の観光です)
日本橋は、ご存じのとおり「道の始点」です。
というわけで、わくわく半分恥じらい半分で写真撮影。会合の参加者に見られたら写真撮ってるところを写真撮られるだろうなあ、と戦々恐々としながら(笑)。
もちろん麒麟像も撮影♪
おしりを撮りたかったけど撮れなんだ( -_-)
何だかよくわからないけど撮影♪
大満足です!!!!
やはり目は大きく開いて、時間は余裕を持って、移動するのがいいですね。
ちなみに、こんなことしてニヤニヤしていたら、会合に危うく遅刻しそうになりました(笑)。
日本橋の上には首都高が走っていますが、地下化の計画が進んでいるようです。
高架がなくなれば、日本橋の空は広くなるでしょう(^^)
そうなれば高架に掲げられている「日本橋」というプレートはなくなるわけで、今の景色は今の景色として、記憶や心に留めておくのは、私の人生を豊かにしてくれるかもしれないな、と雑駁な感想を持った(ちっさい)冒険でした。
(書き手/片野真理子)
西郷どんの暮らした街
こんにちは^^今年は暖かいね、なんて言っていたのもつかの間、今週に入ったら
ぐっと気温が下がって、急に真冬の寒さに襲われた。今朝なんて都心でも2度台まで
下がったって。道理で寒かったわけだ。
さて、今年もあとわずか。NHK大河ドラマ「西郷どん」もいよいよ佳境に入った。
西南戦争に突入して、悲しい結末に向かって転げ落ちていく様がなんとも哀しい。
来週は最終回なんだとか。史実は変えようもないけれど、情が移ったのでせめて
ドラマの中だけでも救いのある結末となっているといいな、なんて思ってしまったり。
そう、つい数か月前のこと、近所の図書館に入ろうとしたときに、ひとりの男性が
そのそばにあった看板を眺めていたのに気が付いた。すぐにその方は立ち去ったので、
いったい何が書いてあったのか気になり見に行った。するとそれは中央区教育委員会が
設置した地域ゆかりの事跡の説明板で、見ると「西郷隆盛屋敷跡」とあるではないか!
新政府に請われ上京して参議に就任し、岩倉使節団の欧米派遣の際には筆頭参議として
留守政府を任され、学制、徴兵制度、地租改正など重要政策を実現した、とある。
その後袂を分かち鹿児島に戻るわけだが、東京にいる間のお屋敷が今でいうところの
日本橋人形町・日本橋小網町・日本橋蛎殻町にあったんだと!2633坪ですって。
何人もの書生や下男を雇って猟犬も数頭飼っていたんだとか。すごいね~^^
今そこは日本橋小学校・日本橋図書館など複合施設となっている。明治維新の元勲が
まさにご近所にお住まいだったことが驚きだ。ほんの百数十年前に、このあたりを
西郷どんが闊歩し風に吹かれ、新しい日本の在り方を真剣に考えていたのかと思うと、
とても感慨深い。まるで西郷どんがいつも見守ってくれているような気になる。
昔の日本に思いをはせて、日本橋地域を歩いてみるのもなかなか楽しいかもしれない。
(書き手・江尻光太郎)
東京のど真ん中銀座の銭湯 金春湯に入る
今、銀座六丁目は、昨年オープンした「GSIX」で大変な人どおりとなっています。GSIXに入る人を乗せてきたハイヤーや自家用の黒塗りの高級車が、四丁目交差点の和光、三越の辺りまで、数珠つなぎになっています。
ところで、皆さんは、その銀座に銭湯があるのは、ご存知でしょうか。
不思議なことに銀座にも、銭湯があるのです。銭湯好きの方や銭湯ファンには、すでにご存知のことかと思いますが、このGSIXの向い側の通りを少し入ったところにその銭湯があります。
その銭湯は「金春湯」という名ですが、その名のとおり、金春通りにあります。現在の地名では、銀座8丁目の西側の通りにあります。なかなか立ち寄る機会がありませんでしたが、先日、入って来ました。
この銭湯は、昼2時から開いています。(通常3時から)もちろん、東京の銭湯ですので、ヘアシャンプー、ボディーソープは、備え付けのものがあります。私が入ったのは、開湯ちょうどでしたが、その時からほぼ、いっぱいの人でした。湯船は、二つ、洗い場は、約10人ぐらい(内外)でしょうか。湯船の上には、タイルに錦鯉の絵が描いてあり、その上には、見事な富士山の壁絵が描かれています。
それにしても、銀座で銭湯に入れるとは、何と豪華なことかと思います。東京に観光の皆さんもぜひ一度入られたらいかがでしょうか。
(書き手/西川文明)
新しきものが脈動する
今週に入って天気が悪くなってきた。気温もぐっと下がって、今日は半袖では肌寒い。
ずっと曇りだったり雨だったりという天気が続きそうでどうも秋の気配になってきた。
さすがに6月中に梅雨明けしてうんざりするほどの今年の猛暑というか酷暑というか、
溶けるような暑さは、いい加減飽きてきたところだったので、ほっと一息という感じ。
そんな秋の気配の日本橋は、今日もあちらこちらで再開発が進んでおり、絶賛工事中の
ところもあれば、新しく生まれ変わって近代的でカッコいいビルがお披露目されたり。
中央通りと江戸通りの交差点に、OVOL日本橋ビル、というのができた。竣工はあの
梅雨明けの頃だったらしく、オフィス、ホテル、商業店舗からなる複合施設だそうだ。
ホテルは三井ガーデンホテル日本橋プレミアといって、開業は9月13日とのこと。
あるつてで、1F・BFの飲食店3店舗合同のレセプションパーティーに招待された。
こちらはB1のレストラン&バー「Locanda MEAT & ITALY(ロカンダ ミート&イタリー)」。まさに肉料理とイタリアン。イタリアの伝統的な食堂を思わせるおしゃれな
内装で、オープンキッチンの奥では大量の肉を焼きあげている。さらにB1フロアには
中華・鉄板&卓球バー「RIBAYON ATTACK(リバヨン アタック)」もあって、特に
分厚いお好み焼き~豚玉~と辛い辛い麻婆豆腐が美味しかったな。辛いの大好き^^
1Fにはレストラン&カフェ・バー「SALONE VENDREDI(サローネ ヴァンドルディ)
があって、楽器の生演奏が楽しめるようだ。こちらの写真はそれではなく、
いきなりB1にこちらの社長さんが登場して何曲も熱唱して、挨拶をされていたのね。
という盛り上がったオープンお披露目だったわけね。なんだかお店紹介ブログみたいに
なってしまったけど、日本橋の街並みは古き良きものと新しきものがダイナミックに
融合して脈動している、そんなところが魅力の一つなんだな、って感じた一夜だった。
(書き手:江尻光太郎)
人形町、4つの路線。
人形町は、ものすごく交通の便がいい。
日比谷線に乗れば、省庁林立の霞が関に行ける。上野にも行けるから、埼玉方面だって楽勝だ。
弁護士じゃないので、霞が関には別に裁判所を目指して行くのではなく、行政書士としては外務省のアポスティーユ(公印確認。外国での各種手続きのために日本の公文書を提出するに際しての外務省の証明)というものが目的で行くことが多い。
この出口を出て右に進めば、数分で半蔵門線の水天宮前駅に着く。
↑ 出口右側の写真
半蔵門線の何がいいかって、法務局のある九段下に私を連れて行ってくれることだ。法務局では、土地や法人の登記簿を取ったりするが、それはほとんどネット請求するので、法務局で取得するのは「登記されていないことの証明書」であることが多い。私は。
半蔵門線と言えば、初めて乗った時、大手町から神保町までがメトロの割に遠くって、うっかり快速に乗ってしまったかと戦慄したことがある。三越前から大手町だったかな?まあいいか。
この道をまっすぐ行くと、都営新宿線浜町駅に行ける。都営新宿線は、都庁に行くのにとてもいい。JRだの丸ノ内線だので都庁に向かうと、電車を降りてからが遠くっていけない。こんなに暑い夏ならなおさらいけない。
とどめは、都営浅草線人形町駅だ。都営浅草線は、京成線、京急線に乗り入れているので、成田も羽田もどんと来いの優秀な路線なのだ。しかし羽田はともかく、成田は京成スカイライナーで行く派の私であった。
そういえば、水天宮前には「東京シティエアターミナル(T-CAT)」があり、バスによる空港アクセスも優れている。人形町・水天宮前にはCAさんが結構住んでいるとかいないとか。
また、都営浅草線は品川方面に行くので、入国管理局に行くにも大変都合がいい。あ、入国管理局は、2019年4月から、「入国在留管理庁」になるそうですよ。
こんな具合で大変便利な人形町界隈なのだが、東京駅に微妙に行きにくいという点がある。電車で行こうとするからなんですけど。
(書き手/片野真理子)
猫と、文学と、日本橋
水天宮駅を東京シティエアターミナルの方に出て、箱崎かた清洲橋に向かって歩いていくと、中洲にあるマンションの植え込みに、ひっそりと石碑が立っています。
ー 漱石『猫』上演の地 真砂座跡 ー
漱石の「猫」といえば、もちろん、「名前ハマダナイ」れいの猫です。
明治38年1月かた翌39年8月まで、正岡子規の友人である柳原極堂が創刊した俳句雑誌「ホトトギス」に連載された『吾輩ハ猫デアル』は大人気となり、伊井蓉峰一派により脚色された演劇が、明治39年11月3日から30日まで、この場所にあった「真砂座」で上演されました。ちなみに、漱石自身はこの舞台を見ていないと言われています。
平成15年、この上演を記念して、早稲田大学第14代総長の奥島孝康教授が建てたのがこの石碑です。早稲田大学といえば、若かりし頃の漱石が講師をしていた東京専門学校が前身で、歴史のつながりを感じます。
実は、日本橋には、奥島孝康教授が建てた漱石にまつわる石碑が、あと2つあります。ひとつは、コレド日本橋にある「漱石名作の舞台」碑、もうひとつは、三越本店の屋上にある「漱石の越後屋」碑です。
江戸生まれで東京人の夏目漱石。日記を見ると、一時期、毎日のように銀座や日本橋を散歩していた記述があります。明治時代の文学に思いを馳せながら、日本橋を歩くと、文明開化の音が聞こえてくるような気がします。
(書き手/藤井祐剛)