猫と、文学と、日本橋
水天宮駅を東京シティエアターミナルの方に出て、箱崎かた清洲橋に向かって歩いていくと、中洲にあるマンションの植え込みに、ひっそりと石碑が立っています。
ー 漱石『猫』上演の地 真砂座跡 ー
漱石の「猫」といえば、もちろん、「名前ハマダナイ」れいの猫です。
明治38年1月かた翌39年8月まで、正岡子規の友人である柳原極堂が創刊した俳句雑誌「ホトトギス」に連載された『吾輩ハ猫デアル』は大人気となり、伊井蓉峰一派により脚色された演劇が、明治39年11月3日から30日まで、この場所にあった「真砂座」で上演されました。ちなみに、漱石自身はこの舞台を見ていないと言われています。
平成15年、この上演を記念して、早稲田大学第14代総長の奥島孝康教授が建てたのがこの石碑です。早稲田大学といえば、若かりし頃の漱石が講師をしていた東京専門学校が前身で、歴史のつながりを感じます。
実は、日本橋には、奥島孝康教授が建てた漱石にまつわる石碑が、あと2つあります。ひとつは、コレド日本橋にある「漱石名作の舞台」碑、もうひとつは、三越本店の屋上にある「漱石の越後屋」碑です。
江戸生まれで東京人の夏目漱石。日記を見ると、一時期、毎日のように銀座や日本橋を散歩していた記述があります。明治時代の文学に思いを馳せながら、日本橋を歩くと、文明開化の音が聞こえてくるような気がします。
(書き手/藤井祐剛)