にほんばしブログ

日本橋ではたらく4人の行政書士が、日本橋で見たこと、聞いたこと、感じたことを書きます。

近代的な神社と、桜と、春の夜

紫色の半蔵門線と、黄色の銀座線。2つの地下鉄の路線が交差する東京メトロ三越前駅のA6番出口を出て、COREDO室町1とCOREDO室町2の間を進むと、都会の喧騒を忘れさせるためにそこにあるかのように「福徳神社」と「福徳の森」が現れます。

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Photo|日本橋の地域コミュニティを守る福徳神社


 貞観年間(859年~876年)には鎮座し、徳川家康公も参詣したといわれる由緒ある「福徳神社」は、2016年9月、三井不動産が推し進める日本橋再開発の一端として、近代的に蘇りました。神社の周りには、地域コミュニティの核になって欲しいという地元の方の想いがこもった「福徳の森」が広がっています。

3月16日(金)から4月15日(日)の1ヶ月間、この場所で「日本橋桜フェスティバル」が開催されました。桜の木、桜の花びらは、歴史と近代が融合し、江戸時代の人たちが創造もできなかったような街並みを、私たちに見せてくれます。

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Photo|桜のイルミネーションによる幻想的な空間


日本橋桜フェスティバルの会場を離れ、COREDO室町から中央通りを挟んで向かい側に目を向けると、「日本橋三越本館」があります。三井越後屋呉服店の魂を受け継ぎ、1935年に竣工された建物は、国の重要文化財にも指定されています。

ライトアップされてひときわ美しい本館の明かりと、路線バスのヘッドライトが照らす先には、この道を歩いたたくさんの商人たちが紡いできた歴史の息吹を感じるようです。 

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Photo|ライトアップされた日本橋三越本館


日本橋三越から中央通りを銀座の方に進むと、COREDO日本橋があります。東急百貨店日本橋店の跡地に建てられたその場所には、その昔、これまた百貨店の元祖といえる「白木屋」が建っていました。道をさらに進むと「日本橋高島屋」が見えてきます。

三井越後屋呉服店、白木屋高島屋、日本の小売業を長い間支えてきた日本橋の地は、この先もずっと商人たちの笑顔があふれ、日本橋で起業しようとする人を見守り続けてくれるのではないでしょうか。


(書き手/藤井祐剛)

 

 

「BETTARA STAND」クローズ

「期間限定」と聞くと、買い物ならつい買いたくなる、展覧会ならその特別展示を見に行ってしまう。「期間限定」は以前なら、そういうなんだか、わくわくした気持ちと紐づいた言葉だったような気がする。けれど、歳を重ねるにつれ、実は人生そのものが期間限定であったのだな、なんて思うようになる。まあ多分、たいがいの人が。

つい先日も、ついご近所で、とあるスペースが2年の活動を終えてクローズになった。その名も「BETTARA STAND日本橋」。2016年の冬、寒いさ中のオープン準備中に、ビニールシートの向こうで何やらDIYに勤しむ人影が見え隠れしていて、「ここは何ができるのかなあ」とちょっと楽しみにしていたのを覚えている。

当方が日本橋に越してきたのは2014年の夏で、抜群に便利なロケーションには満足していたけれど(それが理由で引っ越してきたのだし)、愛着を感じる要素は、極論すれば少なかった。夜な夜な外食する余裕があれば、あるいは犬のお散歩をするとか神輿を担ぐとか、そういった生活であればまた違ったかもしれないが、賃貸住宅に住む新参者の独り者兼個人事業者は、街との接点が少ない。以前住んでいた清澄白河では、これも今はなくなってしまったが、「そら庵」という、古い印刷工場を改造したブックカフェがあって、その魅力的な場所を介してたくさんの人と知り合い、清澄白河に暮らす実感を得ることができた。ふらりと立ち寄りたい素敵なお店はたくさんあるけれど、立ち寄る理由がある場所というのは、見つかりそうでなかなか見つからない。

「BETTARA STAND」は、三井不動産株式会社が所有する、恵比寿神社の小さなお社の脇の駐車場に建った移動式の小屋(!)で、プレスリリースを読むと「まちの魅力向上・活性化」を狙って「世界中のスモールハウスやモバイルハウスのメディア運営や企画・開発を手がける」YADOKARI株式会社が運営を手がけるということだった。小屋とはいっても2、30人がミーティングできるスペースを取り巻いて、キッチンスペースや本を販売する小さな部屋もあったし、さすがに真冬は少し寒く、真夏は少し暑かったけれども、大通りから一本外れた静かな通りとそのまま繋がっている感じは、悪くなかった。

 「BETTARA STAND」は、五月雨式に、そのうち矢のように、いろんなイベントを告知するようになり、当方も月に1回くらいは顔を出すようになった。「まちの魅力向上・活性化のために」と最初からうたっていると、ちょっと違和感もあったりしたのだが、そのイベントを企画している方々と話すようになると、「自分たちが今興味があることを追いかけている」という楽しさが伝わってきて、自分は全く興味を持てないようなテーマのイベントであっても、その告知を楽しみにしていた。ここで初めて知った人、知ったこともたくさんある。そのうち認知度も上がってきたのか、イベントも大入り満員だったり、自分のFacebookのお友達がイベントに「興味あり」をつけていたり、小さくてはあっても、人の流れをこの街に呼び込んでいるんだなあ、と感じていた。この地域の最大の祭である「べったら市」や「くされ市」にも参加していたし、このままなんとなく、どんどん地域になじんで続いていくのだと思っていた。

 忘れた頃にクローズの告知を読んだ。そういえば、もともと期間限定と聞いていたような気もする。続けるというオプションはなかったのかなあ、と聞いてみたい。参加者の中では最年長に近かったし、若い参加者たちにまじって気後れしていたけれど、若者が何か新しいことを始めるのをもう少し見ていたかったなあ。まあ、2年で種はまいたということかもしれないが。

 

と感想めいたことをつらつら書いてしまったが、日本橋のできごと、独り者、個人事業者などをテーマに、今後ちょこちょこアップできればと思っています。

(書き手/梶原 恭子)