にほんばしブログ

日本橋ではたらく4人の行政書士が、日本橋で見たこと、聞いたこと、感じたことを書きます。

日本橋でプチオーダーメイド(し損ねた話)

老舗が軒を連ねる日本橋界隈。伝統の技でもって、私ひとりだけのための逸品を誂えていただければ、と思うのは私だけではないと思うけれど、「老舗のオーダーメイド」、値段を考えるとおいそれとは手が出せません。

そんなとき、お散歩中に見つけたのが、明治35年創業の浜町の表具屋さんのウィンドウ。立派な掛け軸と一緒に、「御朱印帳のカバー、ご用意します」とのこと。表具屋さんの技でもって仕立てていただく御朱印帳カバー。素敵ではないか! 大量生産ではないと思われるので、「私一人の」オーダーメイドに限りなく近い。値段もそんなには高くないだろう(願望)。

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と思って通り過ぎたわけだが、久しぶりにブログに書こうと思ってお店に出向いたところ、残念! 御朱印帳のカバーはウィンドウから消えてました。反響少なかったのかしら。それとも、ウィンドウの展示は止しただけなのかな。

街も生ものなんだなあ、と実感した次第です。「日本橋オーダーメイド」第一話、完成ならず。でも、ぜひいつかどこかのお店で。だって、「日本橋」と「オーダーメイド」、なんだかぴったりだから。

あ、ご朱印帳にご興味のある方、三越前の奈良のアンテナショップ「奈良まほろば館」でもご朱印帳を取り扱ってます。情報まで。

(書き手/梶原恭子)

日本のど真ん中の、まうえの空。

じめじめ、べたべた。梅雨時というのは晴れたと思えば、まるで真夏のように

気温が上がったりして閉口するし、食べ物も傷みやすいから、とっても不快だ。

まあ、それも日本の季節の一つの彩りではあるのだけれども。

 

さて、日本橋の見どころはといえば、なんといっても日本橋。今日はその橋の

ど真ん中に目を向けてみたい。日本橋のど真ん中に「日本国道路元標」というのが

埋め込まれているのをご存じだろうか。現行の道路法には規定がないのだが、

戦前は道路法で、各市町村に道路の起点となる道路元標の設置を義務付けており、

その起源は、慶長9年に徳川幕府日本橋五街道の起点と定め、全国の里程の

起点としたことによるのだとか。今では法的根拠のないモニュメントのような

ものらしいのだけどね。

 

昼間には車がびゅんびゅん走っているので、道路の真ん中の道路元標には普段

お目にかかることはできない。でも橋のたもと、日本橋三越の側には道路元標の

レプリカが設置されているので、一応それをじっくり観察できるようになっている。

f:id:nhbscompany:20180628005241j:plainでも、あくまでもそれはレプリカで本物は橋の上、車道のど真ん中にある。どれどれ、

歩道からみると確かに道の真ん中に、何か埋め込まれてるみたいなのが見て取れる。

 

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橋のど真ん中にあるそれは、やや青い色合いのレプリカよりも黒光りして、なんだか

高級感のある印象を帯びる。さすがに日中は交通量が激しく危険なので、早朝で車の

いないときを見計らって撮影してしまった。その上空に目を向けると、道路元標の

ちょうど真上に「道路元標地点」という柱が、高架をまたぐようにかけられていて、

首都高速を走る車窓からここの名所見学ができるようになっているようで、なかなか。

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先月、日本橋首都高速の地下移設について、国土交通省などの検討会が、神田橋

ジャンクションから江戸橋ジャンクション間の一部の約1.2kmを地下化する

ルート案を決めたのだとか。都市計画法に基づく手続きを経れば正式決定となるようで

日本橋上空をふさぐようにかかる高架が取り払われて、大きな空が戻ってくる、という

夢がいよいよ現実のものとなるのかもしれない。一体どんな青空が見えるのだろう。 

 

(書き手:江尻光太郎)

散歩する暇がない。

時間は作るものだ!!
とわかっていても、なかなか作り出せない今日この頃。
今年1月から始めた業務の、自分なりのペースがまだ確立できず、いっぱいいっぱいでこなしています。
仕事を始める前に、「何をいつまで。これは今日まで。」と決めるのですが、1つくらいは明日へのお土産になってしまうことも多く、従って全然散歩する暇がありません❗

人形町は飲食店が多く、一杯(いやいっぱいw)飲むのに最適なお店がたくさんあります。夕暮れの明かりが灯った風景も良く。
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そんな折、人形町駅A1出口が改修工事のため閉鎖されました。
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わざわざ事務所の反対側のA2出口から、信号を渡らなければならなくなり…信号のタイミングが悪いと、思わずイライラしてしまうー(>_<)

でも、これがきっかけで見つけたんです。
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蛎殻銀座跡碑。
こういう碑、日本橋には他にもいろいろ整備されていますね。

へえー(^^)♪と思いながら読みました。
そういえば、私はこういうのを巡るのが好きな人だったのです。
大学のときは、"東京散歩"みたいな本を片手に、結構歩いてたなあ。
とすると、ムダにブラブラしたいという欲求は、私に昔から備わっているものだったわけで。

イライラさせられた回り道が、そんなことを思い出させてくれました。

とは言っても、出口は近いに越したことはないんですよ、正直。
…いやいや、私が業務効率を上げればOKですね。
問題の所在を外に探してはいかんのです。

というわけで、やりくりして街に出ました☆
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斜に構えた標識発見(*´艸`*)

(書き手:片野真理子)

江戸一番の商業地をしのぶ「くされ市」

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少し前のことになりますが、5月27日、日本橋大伝馬町恵比寿通りで「日本橋くされ市」が開催されました。このエリアでは、江戸時代中期から続き、今でも毎年10月に行われる「べったら市」が有名ですが、なんと「くされ市」は「べったら市」の前身として開かれてきた歴史ある市なのです。

恵比寿通りは、車の往来が激しい江戸通りから1本奥に入った静かな通りです。しかし、かつては、将軍ご一行が江戸城の常盤橋御門を出て真っすぐ進み、徳川家康が眠る日光東照宮やその先の奥州へと向かうときにも通ったといわれる、木綿問屋が軒を並べる賑やかな街道でした。江戸通りを建設するにあたり、国が土地を買い上げたとき、恵比寿通り沿いの土地が高すぎて買えなかったため、少し外れた今の江戸通り沿いの土地を買ったという話も耳にします。

そんな江戸一番の商業地として栄えた地域の歴史を思い出せればと、地元の自治会などが中心になって復興したのが「くされ市」です。

駄菓子屋さんなど、小さな子どもも楽しめる屋台があり、いたるところに何気ない会話で笑い合う笑顔を溢れていました。

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大規模なイベントではありませんが、地元の方たちや商店の思いがあふれる温かい市でした。春の風に揺れる青いのぼりが、なんだか生きているかのように揺れ動き、それでいて絵に描いたように美しく見えました。

来年も楽しみです!

(書き手/藤井祐剛)

 

山形の縁起物をいただきました

のっけから日本橋の話題ではないのですが…。

 

写真は、本日参加した、中央区の「生涯学習コーディネーター養成講座」で配布されたものです。今日は、山形県天童市からお客様がいらしていて、ご当地の縁起物だという、こちらの「左馬」をお土産で持ってきてくださったのです。

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”古来より「舞い」はめでたい席で催されてきた。舞う(まう)は馬(うま)の逆であることから、馬の字を逆に書いた左馬は、縁起のよい招福の駒とされてきた”のだそう。(中島清吉商店ウェブサイトより)

 

これまで知らなかったのとちょっと嬉しかったので書いてみました。

 

さて、本題は左馬のほうではなくて、「生涯学習コーディネーター養成講座」のほうでした。この講座は、中央区の主催するコミュニティカレッジの中の1講座です。区の講座に参加するのは、当方にとっては2回目で、最初に受けたのは一昨年の「地域コミュニティの担い手養成塾」でした。ちょっと地域のお手伝いをするのかな、ご近所の知り合いができたらいいな、くらいに思って参加したところ、「自分で地域のコミュニティを作ってみよう」という話でびっくりしました。しかし、既存のコミュニティにフォロワーとして参加するのではなく、リーダーシップをとって自分でコミュニティを作ってみる、と視点を切り替えてみると、「それも面白いかも」という気持ちになるのが我ながら面白いところ。思い悩んでご近所の同業者に声をかけてみたのが、こちらのブログの面々とのつきあいの始まりだったりするわけです。

 

ということで、区の催しにもちょっと参加してみると面白いよ、というお話でした。若干年齢層が高めだったり、平日の昼間開催だと参加できなかったりするかもしれませんが、思いがけないヒントをもらえる可能性もあります。区報とか、町内会の掲示板とか、私も若い頃はまったく読みませんでしたが。

生涯学習コーディネーター養成講座」は、区民の参加する各種講座を企画する講座らしいのですが、どうやら、「偉い先生を呼んで話を聞くのではなく、誰もが持っているそれぞれの何かを出しあい、それが講座になる」といったアプローチでの講座づくりのようです。視点、視野、視座を変えるというのは、面白い体験になりそう。続報をいつかまたお伝えしたいと思います。

(書き手/梶原恭子)

誰にも見られずに

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こんにちは。朝方には5月とは思えない肌寒さにこごえて、あわててコートを

着込んだかと思えば、日中は5月とは思えない暑さに面食らうこともある。

季節の変わり目は人生にも似て、何かと翻弄される。

 

日本橋に根を下ろす者として何か書く、というミッションを与えられたわけだが、

このあたりのことはネタに事欠かない。まずはずっと気になっていた

あのスポットについて。それは日本橋三越本店に鎮座するライオン像

日本橋三越本店といえば、その建物自体が国指定の重要文化財となっており、

中に入ると天女像やらパイプオルガンやら、さながら博物館のように

見どころいっぱいなんだよね。

 

さて、本館正面玄関でお客様をお迎えするのは2頭のライオン像。ロンドンの

トラファルガー広場のネルソン記念塔の下のライオン像を模して鋳造されたもので、

大正3年に設置されたんだとか。そして、このライオン像は、「必勝祈願の像

として、誰にも見られずに背にまたがると念願が叶うという言い伝えがあるんだって!

ライオン像について説明する銘板に、そんなことが書いてあった。

 

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願いが叶うというなら、気にならないわけがない。でも、誰にも見られずに、

というのはなかなか難しい。日中は人目が多すぎるのでまず無理だろう。

夜中はどうだろう、と思ってコータローは機を伺っていた。夜中まで仕事をして、

郵便局に差し出さねばならないものがあったときに、足を延ばしてみた。

時は草木も眠る丑三つ時。ライオン像周りは夜中でもこうこうと明かりがついている。

さすがに人は少ない。

 

しかし!警備員が巡回していた。むむむ。去ってゆく警備員を確認して

周りを見渡すと、タクシーが信号待ちをしている。さらには、遠くから

自転車がやってくる。そう、東京の中心地である日本橋は夜になっても

人目がなくなるのを待つのは難しいということが分かりその夜は断念することにした。

しかし、諦めない。日本橋に根を下ろす限り、機会は巡ってくる。

そう信じて夜道を戻ったのだった。いつかきっと願いは叶う。

 

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(書き手:江尻光太郎)

 

 

人形町 徒然

考えてみると、人形町に来て、あと半年で7年になる。

 

日本橋人形町には、スペシャルなカキフライがある。「人形町 カキフライ」で検索すると、すぐに上がってくるあの店だ。あのカキフライを初めて食べたときの衝撃は忘れられない。必ず並ばなければならないけれど、それも当然、と思えるシロモノだ。

ちなみに、私は飲食店の行列に並ぶのが大嫌いなのである。ラーメン屋は、すいていればいるほどいい、とさえ思っている(これを聞いた梶原さんが、「そんなのやだ」と言っている)。そんな私を並ばせるあの店のカキフライは、本当にすごいと思うのだ。日本橋には名店が数多くあるが、私はランチのおススメを聞かれたら、シーズン中はきっとあの店を薦めるのだ。

(ちなみに昨秋~今春のシーズンは終わってしまったので、秋まで楽しみに待たなければならないだろう)

 

とはいえ、いつもいつもそういったお店で食べられるわけではないから、昼食は悩ましくもある。むしろ仕事の処理状況によっては、買い込んだ非常食をボリボリかじってすませることも多い。だが、ふと外に出てみると、急に考えがまとまることも…あるような、そうでもないような。

日本橋には見どころがたくさんあるし、それを見ないでいるのはもったいないことなのだ。今年も桜の季節はそわそわと過ごしたが、いつまで日本橋にいられるのだろう、と思うこともある。いつのまにか、日本橋は私にとってもアイデンティティのひとつになったようだ。甘酒横丁を歩いていても、「あれっ?お店変わってる…」ということはたびたびある。そういった出会いや別れも日本橋人形町の味をつくっていくのだろう。それにしても、だいぶ収拾がつかなくなってきた。

つまり、日本橋人形町の街自体がはらむ空気を私は愛していて、「人形町 カキフライ」は絶品なのだ。

 

素敵な写真を添えたかったのに、それもできなかった。次回は初夏の人形町の情緒あふれる写真をお届けできたらと思う。

(文章作成者 片野真理子)